華胥の国に遊ぶ

「変化」「変容」「進化」「成長」をキーワードに、未来の自分に向けたメッセージを書き続けています。

『良い中途半端と悪い中途半端』

「中途半端」には

良くない中途半端と良い中途半端があると思います。

 

「中途半端」には

・始めた物事が完了しないでいること

・どっちつかずの状態であること

という意味があり、

どちらかというと良くないイメージがあります。

 

が、しかし、

心から達成したいと目標をたて、

そこに到達できないでいる状態、

つまり、目標を達成できていない状態は

必ずしも悪いとは言えないと思います。

 

達成したくても、

達成できない状態でいると、

「どうしたら達成できるのか」

という問いが絶えず浮かびます。

 

その問いが、

様々な気づきを生み出す源泉となることは

間違いありません。

 

 

 

 

 

 

『変動性を考慮する』

 

能力の変動性を生み出すものは、

置かれている状況や

取り組んでいる課題だけでなく、

自分自身の精神状態や身体状態も

含まれている。

(加藤洋平)

 

 

どんな時も、

最高のパフォーマンスを発揮したいと思うものの、

その日の精神状態や身体状態に左右され、

中途半端な結果に終わってしまうことばかりです。

そのたびに落ち込むことがありましたが、

加藤洋平さんのこの言葉を目にしてから、

まあ、そんな日もあるかと受け止められるようになりました。

そもそも、いつでも同じ状態でいられることが特別なことであり、

それを考慮しておくだけで、

自分の気持ちの変動に一喜一憂することがなくなったように思います。

 

 

 

『人間はみずからつくったところのものになる』

サルトルの著書である『実存主義とは何か』のなかに

”人間はみずからつくったところのものになる”

という言葉があります。

 

その言葉を目にした時、

「人間はこうなると決まっているのではなく、

みずからが選びとったものになることができるのだ」

と感じました。

 

人にはあらゆる可能性があるという言葉を良く耳にします。

ただ、この言葉を本当に信じている人は、

それほど多くないと思います。 

 

信じていないからこそ、

ありたい自分に辿り着けないのだと思います。

 

”人間はみずからつくったところのものになる”

この言葉を信じることができるかどうか。

大きな分かれ道であると感じます。

 

 

 

 

 

 

 

『アマチュアとは』

「アマチュア」(amateur)という言葉の語源は

愛する人」という意味のラテン語、amator(アマートル)だそうです。

 

「アマチュア」というと

「プロ」に対する「素人」をイメージしがちですが、

語源からすると、

「何かを愛している人」と解するのが適切なのかも知れません。

 

「好きこそものの上手なれ」

という言葉がありますが、

他者からの評価に関係なく、

自分の世界に没頭し続けることができる人々が

何かを成し遂げることはよくあることです。

 

「プロ」とは

「アマチュア」を極めた先、

つまり自分の愛するものに没頭し続けた先に

自然に到達する世界なのかも知れません。

『できるかできないかではなく、やると決めたらやる』

何か新しいことを始めようとするときに、

できるかできないかを考えてしまいがちです。

ただ、それは意味のないことだと思います。

 

何か始めようと思ったら、

とにかくやること、

これしかないと思います。

悩んでいる時間ほどもったいないことはありません。

 

 

『耳が痛いフィードバックを受け止めることができるか』

成長するためには

他者からのフィードバックの機会があるかどうかが重要です。

誰でも、

褒めてもらったり、

評価されたりすると、

良い気持ちになり、

もっとやろうという気持ちになります。

 

ただ、

プラスのフィードバックばかりだと、

無意識に慢心が生まれ、

あるレベルからは成長できない

ということが起こります。

 

もちろん、

耳が痛いフィードバックを受けると

落ち込むこともあるかもしれません。

 

ただ、そうした感情が動くフィードバックは、

自分の中に残り続けます。

そうした自分の中に残り続けるフィードバックが

自分をさらに成長させてくれるきっかけとなります。

 

耳が痛いフィードバックを受ける機会があるか

そして、

そうしたフィードバックは自分の成長のために

不可欠なものであると考えることができるかどうかは

さらなる成長を目指すうえで

とても大切なことであると思います。

 

『世の中にはたくさんのお金が落ちている』

実は、

世の中にはたくさんお金が落ちています。

 

といっても現金の話ではありません。

無料で受けられるサービスのことです。

 

例えば、国から委託されて、

民間事業者が行なっている研修などは、

かなり質の高いものでありながら、

無料で受講することができます。

 

研修に限らず、

こうした国からの委託事業については、

あまりアナウンスもされておらず、

受講者が満員になるということはほとんどありません。

とてももったいないことです。

 

公共の施設を訪れる場合、

「用事を済ます」

という目的が多いため、

あまり掲示板などをみることがないのかもしれません。

 

たまに目的なく、

いろいろな案内がされています。

 

ぜひ、一度、どんなサービスがあるか、

うろうろしてみると、

「お金」を拾うことができるかもしれません。

 

 

『自分でできることに集中する』

何か新しいことを始める時は、

どうしても「結果」ばかりを考えてしまいがちです。

 

ただ、実際にやってみると分かりますが、

自分が考えている結果になることはほとんどありません。

 

むしろ、想定外のことばかりが起こります。

 

もちろん上手くいくことばかりではありませんが、

予期せぬ成功を手にすることもあります。

 

何事も、とにかくやってみないと分かりません。

 

最初のうちには、結果よりも、

とにかくやってみることが大切です。

 

結果が自分で決めることはできませんが、

行動は自分で決めることができます。

 

「自分でできることに集中する」

それが何よりも大切なことだと思います。

 

 

 

『やってみないと分からないことばかり』

頭の中で考えていることと

実際にやってみることとの間には

天と地ほどの差があります。

自分では良いアイデアと思ったことが

やってみると全然ダメだったり、

その逆に、大したことないと思っていたことが、

評価をされたり、

分からないことばかりです。

 

「やってみなければ分からない」

と良く言われますが、

まさにその通りだと思います。

 

自分の考えていることを自分自身で評価することほど、

当てにならないものはありません。

 

あーでもないこーでもないと考えているよりも、

実際にやってみた結果を検証した方が、

時間も無駄にすることもなく、

得られるものも大きいと感じます。

 

「思いついたら即実行する、そして結果を検証する」

このことを常に意識したいと思います。

『どのレベルで準備をするか』

goo国語辞書によると、

「準備」とは

 

物事をする前に、

あらかじめ必要なものをそろえたり

態勢を整えたりして

用意すること。

 

とあります。 

 

この定義を読んだときに気になったのが、

「必要なもの」

という言葉です。

必要なものを理解していなければ、

そもそも準備はできないということになります。

 

そこで一つ疑問が浮かびます。

「必要なもの」

かどうかはどのように判断すれば良いのでしょうか?

 

当たり前のことかもしれませんが、

「何のために準備をするのか」

その「何のために」を充足できるかどうかで

判断することになると思います。

 

そうだとすると、

今度は、

どうやったら

「充足できるかどうか」

を判断できるかという疑問が浮かびます。

 

この「充足できるかどうか」が人によって

差が出るポイントではないかと思います。

 

このことを意識することで、

独りよがりの「準備」に陥ることを防ぐことが

できるのではないかと思います。