華胥の国に遊ぶ

「変化」「変容」「進化」「成長」をキーワードに、未来の自分に向けたメッセージを書き続けています。

『明日があるという甘え』

「なぜ、やるべきことを後回しにしてしまうのか?」

 

この問いに対する答えは、人によって異なるかも知れませんが、

「明日がある」という意識が、

無意識のうちに「後回し」という行動を生み出しているのかもしれません。

 

当たり前のことですが、

やらなくてはならないことが自然に消えてなくなることはありません。

 

いつかはやらなければなりません。

 

にもかかわらず、

後回しにしてしまうのは、

どこかに「明日がある」という意識があり、

その意識が「甘え」や「妥協」を生むからではないかと思います。

 

明日に回すことによって

確かに「いま、この時間」をほかのことにつかうことができます。

ある意味では、

優先順位づけを行ったと表現できるかもしれませんが、

「やらなければならない」という事実に変化はなく、

そうした事実が頭のなかに残り続けることで、

確実に脳のエネルギーを奪い続けることになります。

 

本来、そうしたエネルギーは

何かを成し遂げるために活用すべきであると言えますが、

「後回し」にすることで、

何も生み出していないにも関わらず、

消耗していくことになります。

 

しかも、

エネルギーを回復させるためには、

一定の時間が必要であり、

その意味で言えば、

結果的には時間も無駄にしていることになります。

 

とてももったいないことだと思います。

 

「後回し」にすることは、

エネルギーと時間を無駄にすることであるということを認識し、

安易に「後回し」という選択をしないためにも、

「明日がある」という言葉を軽々しく口にしないということを

意識する必要があると思います。

『何とかしてくれるだろうという妄想』

 

会社には期待はしていないと言いつつも、

何かあった時には、

「会社が何とかしてくれるだろう」

あるいは

「自分だけは何とかなるだろう」

という期待を無意識のうちに抱いている人は意外と多いのではないでしょうか。

 

そうした期待を抱く根拠は一体どこにあるのかは不明ですが、

それらは何の根拠もない、全くの幻想であることは間違いありません。

 

「キャリアの道筋は会社が示してくれるはず」

「自分の頑張りは評価されてしかるべき」

「自分の評価に対する納得できる説明が欲しい」

という話を耳にしますが、  

そうしたことに一つひとつ丁寧にこたえてくれるほど、

会社に余裕はありません。

 

極端な表現かもしれませんが、

会社にとって大きなプラスをもたらす社員にしか

会社は興味を示さないものです。

 

当たり前のことではないかと思います。 

 

会社に対してプラスをもたらすこともなく、

「会社がどうにかしてくれるはず」

という根拠のない期待ばかりしている社員を

厚遇できるような会社があるとするならば、

そうした会社はいつかは破綻すると思います。

 

社員は会社に対して価値を提供し、

会社は世の中に対して価値を提供する。

そして、価値を提供した対価が会社の売り上げであり、

社員の報酬であるはずです。

 

社員は会社に対して価値を提供するべく努力を重ね、

会社は世の中に対して会社を提供するべく努力を重ねる。

 

最近、そうした基本的な営みが疎かになっているのではないかと感じるのは

気のせいでしょうか。

 

 

 

 

『自らの人生を他人に預けない』

将来に対する備えとしては

貯蓄や投資が思い浮かびますが、

仮想通貨の価格変動やシェアハウス投資詐欺、

あるいは株価下落などのニュースを見聞きするたびに、

そうしたものに自らの人生を預けることの危うさを感じます。

 

将来に対する不安を解消するための貯蓄や投資が、

不安を増幅させることすらあると言えるかもしれません。

 

また、貯蓄や投資は、自らの人生を他人に預ける行為でもあると言え、

そのように自らがコントロールできない状況が

自らのまわりに増えていくということは

さらに不安を強く感じさせる方向に働くかもしれません。

 

それでは将来に対する備えという役割を発揮することはできません。

 

不安を解消するためには、

「自らがコントロールできるものに集中することが大切である」

と言われますが、

将来に対する不安を解消することを目指すのであれば、

自らがコントロールできるものに意識を向ける必要があるのではないかと思います。

 

つまり「自己投資」です。

 

もちろん、すぐに結果が出るものではありませんが、

将来に対する不安がますます大きくなる社会において、

「自らの人生は自らで作りあげていく」という主体性を取り戻すうえでも、

とても大切なことではないかと思います。

 

 

『自己限定をしない』

 

人は、自分の能力の半分も使っていないということがよく言われます。

なぜ、人は能力のすべてを使い切ることができないのでしょうか?

 

それは無意識のうちに

「自己限定」をしてしまっているからではないかと思います。

 

「自分にはそんな能力はない。」

「自分にはそんな資格はない。」

「自分にはそんな資金はない。」

「自分にはそんな時間がない。」

 

こうした言葉を無意識に繰り返すうちに、

それが深層心理に刻み込まれ、

次第にその言葉どおりの振る舞いをするようになる。

 

そうだとするならば、

「自分には使われてない能力がまだ半分以上も残っている」

という言葉を繰り返すことで、

今とはまったく違う世界が見えてくるのかもしれません。

 

 

 

『成し遂げたい目標が時間に対する意識を高める』

 

何があっても成し遂げたいと思う目標があると、

時間が貴重であるということを

より強く認識するようになります。

 

時間は成果をあげるための制約条件であり、

時間がなければ何事も成し遂げることはできません。

 

 

『自分探しの旅とは』

自分のやりたいことを見つけるためには、

自分の内側を掘り下げているだけは見つからないと思います。

外に出て、様々な体験をするなかで、

自分と他者、自分と社会との比較がうまれ、

そうした比較を繰り返すなかで、

自分の興味関心がどこにあるかということに

ようやく気づくことができるのではないかと思います。

 

「自分探しの旅」とは、

一人で沈思黙考するのではなく、

自分を知るためには様々な体験をすることではないかと思います。

『アウトプットが学びを定着させる』

何かを学ぶ時には、

アウトプットを意識することが大切ではないかと思います。

 

アウトプットの機会がないと、

悲しいかな、学んだことが段々と記憶の片隅に追いやられ、

気がつくと何を学んだかすら忘れてしまいます。

 

何かを学ぶ時には、

「今の自分よりもレベルアップしよう」

「新しいことを学んで、日々の生活をもっと充実させよう」

などの目的を達成するために学ぶのであって、

学ぶことが目的ではないと思います。

 

学んだことを忘れてしまっては、

当然のことながら、目的も達成できず、

しかも、学びに費やした時間を無駄にすることになってしまいます。

 

そうした悲しい状況に陥らないためには、

学んだことは、自分の中に定着させることが必要であり、

定着させる手段として、アウトプットは最適です。

人に話す、勉強会を開催する、学んだことを日々のなかで試してみる、

などどのようなかたちでも良いと思います。

アウトプットの場があれば、

最低でも一度は振り返りを行うことになります。

そして、アウトプットの結果として、

何らかのフィードバックを受けることになり、

それによって、また振り返りを行うことになります。 

こうしたことを繰り返すうちに、

だんだんと自分の体に学びが染み込んでいくのではないかと思います。

 

アウトプットによって学びは定着するのだと思います。

『仕組み化を常に意識する』

やる気やモチベーションに左右されることなく、

やるべきことと整斉と進めるために、

「仕組み化」が重要であると言われますが、

実効性のある「仕組み」を考えるためには、

試行錯誤を含め、

ある程度の時間が必要となります。

そのため「仕組み化」を断念してしまうということも

少なくありません。

 

ただ、「成り行き任せ」だと、

できたりできなかったりを繰り返すことになり、

結局は余計に時間がかかってしまいます。

 

時間は有限です。

そして、何かを成し遂げるためには「時間」は不可欠です。

貴重な時間を無駄にしないためにも、

「仕組み化」は常に意識をしなければならないことだと思います。

 

 

『衆人環視の場に身をおくことでラクをする』

やるべきことをやるためには、

「衆人環視」の場に身をおくことは、

とても効果的であると思います。

 

誰かに環視されているという状態は、

一見窮屈なように感じますが、

むしろ「ラク」なのではないかと思います。

 

「やる気」、「モチベーション」ほど、

あてにならないものはありません。

日によって気分は変化し、

その気分によって、

やるべきことができなかったりします。

自分の不甲斐なさを感じることなり、

それが重なると、

自尊心が毀損されてしまいます。

 

一方、

「衆人環視」の場に身をおくことで、

自分の「やる気」に頼ることなく、

やるべきことを嫌々(?)ながらも、

行うことができるため、

結果的に自尊心は毀損されることはありません。

 

「衆人環視」の場に身をおくことは

一見窮屈そうに見えますが、

むしろ、結果的には「プラス」をもたらしてくれるのですの

『変化は小さな行動の積み重ねから』

何かを成し遂げたい、

今の環境から抜け出したいと思ったら、

「行動」しない限り何も変わりません。

もちろん、行動する前に、

じっくり考えることが必要な場合もあると思いますが、

いずれにしても「行動」しない限り、

変化を手にすることはできません。

 

極めて簡単なルールですが、

実際は、言うほど簡単なことではないと思います。

 

なぜ、簡単ではないのかを考えてみると、

無意識のうちに、

うまく行かなかった場合のことを考えてしまうからではないかと思います。

 

そうした精神的なハードルを乗り越えるためには、

言葉あそびのようになってしまいますが、

やはり「行動する」ことしかないと思います。

 

ただ、最初から大きな一歩を踏みだそうとするのではなく、

簡単にできること、ちょっとだけ頑張ればできることから

始めると良いのではないかと思います。

 

小さな一歩の連続であっても、

「前に進んでいる」ということを感じることができると、

それが次の一歩の原動力になるとともに、

段々と「自己効力感」が高まってきます。

そして、

この「自己効力感」が新たなことにチャレンジする

大きな力になるのではないかと思います。